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大川(旧淀川)  歴史に少しタイムスリップしてみる

こんばんわんこでしー♪

大川わんぽしてると、いろんな石碑があったりするのですが、



後ろになんかあるでしー



市場跡?

goole先生にお伺い立ててみました、するとこんな絵が出てきました。

ぁ、今日はほぼ私の趣味に走っておます、興味ない方はスルーしてくださいね(^ー^)ノ




この絵、

凄い活気と歴史ある市場だったんですね。

ほぼ、太閤さん以前からの市場だそうでー

太閤さんも愛妾連れて、活気あるこの市場を歩くのが好きだったとかー

お忍びではなく、かなりの派手な視察だった様子です(^◇^;)

太閤さんらしいですー

市場の方々は忙しい時はご迷惑だったのでは?っと(^◇^;)

でも、この対岸の八軒家船着場から伏見の大阪~京都の水運を発展させた

太閤さんなら当たり前の視察だったのかもです。

こちらの市場は昭和6年移転する迄続いていたそうです。




そして、子守唄銅像あるでしー




解説

木津村と難波村は、一世紀近くにわたって、天満市場に対抗する地元の市を開こうと活動を続けていた。
その中で、自分たちの主張を示すために作られた唄が「天満の市」であったと、右田伊佐雄は解説している。
当時、木津と難波の両村からは、大阪へ子守娘が多く出ていたので、
彼女たちの歌う守り子歌として近畿一円から四国、中国地方へと広まったのではないかと推測される。



と、子守唄を縄張り主張に使ってたとはビックリです∑(゚Д゚)
更に、近くにはこんな碑もー



私、大川って書いてますが、ここは旧淀川です。

三十石船

徳川の初期、世相の安定とともに淀川で結ばれていた伏見・大阪間の交通機関として旅客専用の船“三十石船”が登場します。
米を三十石積めることから三十石船と呼ばれ、別名を過書船とも云われていました。


全長五十六尺(約17㍍)幅八尺三寸(約2.5㍍)乗客定員28人~30人、船頭は当初4人と決められていましたが、
幕末には“早舟三十石船”が現れ船頭も4・5人~5・6人になり、上り下り共時間が短縮されました。

との事です

対岸がその船着場の八軒家浜





本当の昔の船着き場は、こちら。


fc2blog_201510181033278d0.jpg 

天満橋よりの昆布屋さんの所にこの碑があるんですねー

今日はわんこBlogなのにほぼ、私の趣味に走りましたー

ですが、こんな歴史を感じながらわんぽするとまた違う目で見れるのでつい(^▽^;)



ママしゃんが、趣味に走っり過ぎたでしー( ´ ▽ ` )

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- 2 Comments

okuyuki  

今晩は。
サングラスがとっても似合ってらっしゃるフロールちゃん
素敵です。

ねんねころいち 天満の市で
大根そろえて 舟に積む
舟に積んだら どこまでゆきゃる
木津や難波の 橋の下
橋の下には 鴎がいやる
鴎とりたや 竹ほしや
竹がほしけりゃ 竹やへござれ
 って真剣に読ませて頂いたら
子守唄・・・💦(^-^;

歴史を感じながらのお散歩、素敵だなーっと
こちらは歴史には犬禁止なので・・・

2015/10/19 (Mon) 02:10 | EDIT | REPLY |   

フーママ  

Re: okuyukiさん

グラサン倶楽部部長でしー♪

一回なくしちゃったので、扱いが丁寧になってます(笑)

子守歌真剣に読ませてしまってすみません~~

しかしこの子守歌が縄張り意識ばりばりの歌だったとは~

恐ろしいですね(^_^;)

歴史感じながら歩くのは楽しいです。


加賀百万石は色んな史跡が多いですよね、
わんこダメなのは残念ですね。

2015/10/20 (Tue) 00:58 | EDIT | REPLY |   

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